グヤーシュの鍋は、いつから赤くなったのだろう
牧畜民の鍋は、初めから赤かったわけではない。18世紀末の記録をたどると、パプリカ入りの肉料理、野外の煮炊き、国家の象徴化が別々の速度で重なり、現在のグヤーシュが形づくられた過程が見えてくる。
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グヤーシュの歴史には、少し困った食い違いがある。1786年、セゲドの修道会の帳簿には「パプリカ入りの肉」が現れる。ところが1790年にホルトバージの牧畜民を描いた記録では、鍋の肉料理にパプリカが入っていない。赤いグヤーシュの誕生日を一日だけ選ぶことはできない。むしろこの短い時差に、野外の鍋と新しい香辛料が合流する場面が見えてくる。
赤くない牧畜民の鍋
料理名のもとになったハンガリー語の「gulya」は牛の群れ、「gulyás」は牛飼いを指す。大平原で家畜と移動する人々は、集落から離れた場所で火を起こし、携帯できる金属鍋ボグラーチを使った。脂で玉ねぎと角切り肉を火にかけ、水を補いながら一つの鍋で食事にする。皿や複数の調理器具を運びにくい仕事には、筋の通った方法だった。
ただし、これをそのまま「牛飼いが毎日牛肉を煮た料理」とするのは危うい。牛肉は牧畜民の日常食には高価だったと見る研究者がおり、都市の飲食店で整えられた料理が後から牧歌的な来歴をまとった可能性も指摘される。史料上、1787年には「Gujás-hús(グヤーシュの肉)」という名称が確認できる。一方、18世紀末の牧畜現場でどの肉をどれほど食べたかは、資料だけでは一つに決められない。
パプリカが入る短い窓
パプリカ定着の手がかりは、1780年代から1800年代初頭に集まる。セゲドでは1786年にパプリカを使った肉料理が記録され、1794年にはザクセンから来た旅行者が、パプリカで調理した肉をハンガリーの国民的な料理として記した。1804年の文献は、胡椒を使う古いグヤーシュと、農民が食べる新しいパプリカ版を区別している。
つまり、パプリカは太古から牧畜民の鍋を赤くしていたのではない。18世紀末には肉料理へ入り始め、19世紀初頭にかけてグヤーシュと強く結びついた、と読むのが堅実だろう。赤色はトマトを大量に煮詰めたものではなく、主に粉末パプリカによる。油脂へ加えると色と香りが鍋全体へ広がるが、強火で焦がせば苦くなる。鍋を一度火から外して混ぜる手順には、香辛料を守る小さな理屈がある。
鍋が国家の看板になる
料理の象徴化は、味の普及だけで進んだわけではない。18世紀末、ハプスブルク君主国の統合政策に向き合ったハンガリー貴族は、独自性を示す印として大平原の牧畜文化に目を向けた。農民や牧畜民に結びつく赤い肉料理は、宮廷風の食卓とは違う「ハンガリーらしさ」を示しやすかった。
19世紀には料理名が辞書、料理書、地方都市の献立、やがてペシュトの飲食店へ入る。ただし普及には地域差があった。大平原で一般化した後も、国内の一部では20世紀まで広く根づかなかったとされる。後年は観光案内、鉄道や航空の食事、国家行事、祭りでも供され、国外の移民社会にも運ばれた。2017年には「ハンガリーのグヤーシュ」が国の価値を登録する制度の対象となった。
スープと煮込みが枝分かれする
現在のハンガリーでgulyásは、牛肉、玉ねぎ、パプリカ、キャラウェイなどを使う汁気のある料理を指すことが多い。濃い煮込みはpörkölt、サワークリームを合わせる系統はpaprikásとして区別される。しかし、この整理が定着したのは20世紀前半で、それ以前は名称が重なっていた。国外で「goulash」と呼ばれる濃いシチューが、ハンガリーの分類ではプルクルトに近い場合があるのは、そのずれの名残でもある。
小麦粉と卵の生地を指先でちぎるcsipetkeも、汁物としての輪郭を作る。「csípni」はつまむという意味で、名前が工程をほとんど実況している。小さな生地は汁を吸い、肉だけの鍋を腹持ちのよい一食へ変える。
家で再現する手がかり
博物館が紹介する10人分の料理人版を縮小し、家庭の鍋で汁物にしやすく調整した3人分の目安である。
材料:牛肩肉700g、玉ねぎ100g、燻製ベーコン70g、甘口粉末パプリカ7g、にんにく5g、キャラウェイシード2g、赤または緑の生パプリカ50g、トマト50g、じゃがいも300g、塩8g、水700〜900ml。
1. 牛肉は約3cm角、玉ねぎとベーコンは細かく切る。生パプリカ、トマト、じゃがいもは食べやすい大きさにする。 2. 厚手の鍋でベーコンの脂を出し、玉ねぎを弱めの中火で柔らかくする。火から外して粉末パプリカを混ぜ、少量の水を加える。 3. 牛肉、つぶしたにんにく、キャラウェイ、塩を加える。ふたをして弱火で煮て、乾きそうなら水を少しずつ足す。 4. 肉が柔らかくなり始めたら、生パプリカ、トマト、じゃがいも、残りの水を加える。じゃがいもに火が通るまで煮る。 5. 塩と汁の濃さを整える。手に入れば、卵と小麦粉を固く練って小さくつまんだcsipetkeを最後に煮てもよい。
ハンガリー系の甘口パプリカがなければ、辛味の少ない粉末パプリカで代用できる。スモークパプリカは香りが大きく変わるため少量に留めたい。ベーコンを使わず油脂で玉ねぎを炒める家庭版、じゃがいもやcsipetkeを入れない地域・料理形態もあり、この分量が唯一の正解ではない。
Sources
参考資料・出典
- Magyar Kereskedelmi és Vendéglátóipari Múzeum, “Gulyás” https://mkvm.hu/gulyas/ (牧畜民の野外調理、19世紀の料理書と献立への登場、名称の分化、観光・国家行事を通じた象徴化、2017年の登録を確認した。)
- MNHSZ, “Magyar gulyás” https://www.mnhsz.com/magyar-gulyas (1786〜1804年の記録、牧畜民起源への異論、国民料理化の政治的背景、地域差、料理人による材料構成を確認し、家庭向けレシピの基礎にした。)
- Wikipedia contributors, “Goulash” https://en.wikipedia.org/wiki/Goulash (gulyaとgulyásの語義、現代のスープとしての構成、ボグラーチ、プルクルトとの区別、csipetkeの名称と作り方の概略を照合した。)
- 画像:Lily15, “Wikimedia Commons” https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gulyas080.jpg (CC BY-SA 3.0)
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