バクラヴァは、なぜあれほど薄い生地を重ねるのか
破れそうな生地を幾層も重ねるバクラヴァ。その手間は、巨大な宮廷厨房の分業、ラマダーンの儀礼、都市の菓子店へ続く職人教育によって受け継がれた。蜜の正体と生地の役割をたどり、家庭向けの再現法も考える。
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「蜜」と聞くと、蜂蜜や黒い糖蜜を想像したくなる。ところが、ガズィアンテプのバクラヴァについて欧州連合に登録された仕様では、使うのは砂糖から作る透明なシロップで、蜂蜜ではない。薄い生地、澄ましバター、ピスタチオ、砂糖。この菓子の豪華さは、珍しい甘味料ひとつより、それぞれを扱う仕事の細かさにある。
一枚では頼りない生地
バクラヴァは、薄く延ばした生地を多数重ね、間にナッツを置き、油脂を行き渡らせて焼き、シロップを含ませる菓子だ。生地一枚は、向こうが透けるほど頼りない。けれど層になると、焼成中に水分が抜け、その隙間へ油脂が入り、ぱりぱりした骨格ができる。
ここで厚い一枚に置き換えると、同じ結果にはならない。層と層の境界があるから、上から注ぐシロップを受け止めつつ、すべてが一度に水っぽくなるのを避けられる。何十枚という数は飾りではなく、歯ざわりと吸水を細かく調節する目盛りなのである。
ガズィアンテプの登録仕様には、生地、同地のピスタチオ、澄ましバター、砂糖シロップに加え、セモリナ粉のクリームを使う生タイプが記される。一方、乾いた型では構成が異なる。ひと口にトルコのバクラヴァといっても、都市、店、保存期間によって設計は同じではない。
宮廷の鍋は、分業で動いた
オスマン宮廷の厨房は、家庭の台所を大きくしただけの場所ではなかった。文化観光省の資料によると、トプカプ宮殿の厨房は平時にも四千〜五千人へ食事を供給した。16世紀以降は人員が増え、飯、揚げ物、甘味などを受け持つ料理人が分かれていく。生地と甘味を担う職人、その下の助手、徒弟、見習いという階層もあった。
大量の生地を同じ薄さに延ばし、焼き上がりをそろえるには、個人の器用さだけでは足りない。粉の状態を読み、麺棒を動かし、先輩の手つきを繰り返す訓練が要る。宮廷の帳簿、材料調達、専門職、徒弟教育が組み合わさり、手間の多い菓子を繰り返し作れる環境ができた。
砂糖仕事はさらに別の専門領域を持った。祝宴では、色を付けた巨大な砂糖細工を作る職人までいたという。甘味は味であると同時に、宮廷が人手と材料を動員できることを目に見える形へ変える技術だった。
ラマダーン十五日の行列
薄い層が祝いに残った理由は、豪華だから、だけでは片づかない。宮廷資料には、ラマダーン十五日にイェニチェリの兵士と将校へバクラヴァを供したことが記録される。宮廷では同日、聖遺物である「預言者の外套」を訪れる儀礼があり、普段の断食明けにもバクラヴァが出たとされる。
つまり大皿のバクラヴァは、暦に合わせて同じ工程を再演し、集団へ配る菓子だった。均一に切れる層状の焼き菓子は、大人数への分配にも向く。大きな天板で焼き、同じ形に切り分ければ、一皿の秩序をそのまま行列へ運べる。
やがて宮廷の祝日に大量のバクラヴァを作った技術は、専門店の仕事にもつながった。ただし、現在の各地の製品をすべて宮廷から一直線に派生したものとは断定できない。宮廷が残したのは唯一の配合というより、薄さを評価し、専門家を育て、祝いのたびに注文する仕組みだった。
家で再現する手がかり
以下は登録仕様の材料構成を手がかりに、市販のフィロ生地で組み直した3〜4人分の簡略版である。職人の何十層もの仕事を、そのまま再現するものではない。
材料:フィロ生地12枚(約160g)、無塩バター80g、食塩不使用のピスタチオ70g、牛乳150ml、セモリナ粉20g。シロップは砂糖180g、水120ml、レモン汁小さじ1を使う。
1. 砂糖と水を鍋で溶かし、軽く煮詰める。火を止めてレモン汁を加え、冷ましておく。 2. 牛乳とセモリナ粉を弱火で練り、とろみが付いたら冷ます。ピスタチオは細かく刻む。 3. バターを溶かし、表面の泡を除く。約20cm角の型へフィロ生地を一枚ずつ敷き、その都度ごく薄くバターを塗る。 4. 半数を重ねたところでセモリナのクリームとピスタチオを広げ、残りの生地も同じように重ねる。焼く前に小さな四角または菱形へ切る。 5. 180度のオーブンで、表面が十分に色づくまで25〜35分焼く。熱い生地へ冷たいシロップを少しずつ注ぎ、吸わせてから休ませる。
セモリナ粉がなければ、食感は変わるが米粉で薄いクリームを作れる。ピスタチオをクルミへ替える型も広く見られる。フィロ生地が乾くと割れやすいため、作業中は未使用分を乾いた布ではなく、固く絞った布などで覆う。家庭版では層の数を競うより、各層へバターを薄く均一に置くほうが、宮廷の職人仕事へ近づく入口になる。
Sources
参考資料・出典
- Official Journal of the European Union, “Publication of an application pursuant to Article 50(2)(a) of Regulation (EU) No 1151/2012 — ‘Antep Baklavası’/‘Gaziantep Baklavası” https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX%3A52013XC0808%2805%29 (ガズィアンテプのバクラヴァの材料構成、生タイプと乾いた型の相違、シロップが砂糖製で蜂蜜ではないこと、家庭向け簡略レシピの材料設計に使用。)
- Republic of Türkiye Ministry of Culture and Tourism, “Past, Present and Future of the Kitchen on our Daily Lives” https://www.ktb.gov.tr/EN-98799/past-present-and-future-of-the-kitchen-on-our-daily-lives.html (トプカプ宮殿厨房の給食規模、甘味を含む料理人の専門分化、徒弟的な職階、祝日の大量製造、ラマダーン十五日にイェニチェリへバクラヴァを供した記録に使用。)
- Republic of Türkiye Ministry of Culture and Tourism, “Kitchen Servants and Mensal Customs in the Ottoman Palace” https://www.ktb.gov.tr/EN-98800/kitchen-servants-and-mensal-customs-in-the-ottoman-palace.html (宮廷厨房の専門職と職階、甘味・シロップ担当者の規模、祝宴の砂糖細工、ラマダーン十五日の聖遺物訪問と断食明けの食事に関する記述に使用。)
- 画像:Kultigin, “Wikimedia Commons” https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Baklava_-_Turkish_special,_80-ply.JPEG (Public domain)
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