イラク· バグダード、ティグリス川流域· 中東・北アフリカの食文化

マスグーフの魚は、立てたままでは焼き終わらない

火のそばに立つ魚。その姿で知られるマスグーフには、最後に皮側を炭で焼く工程がある。魚の向きを変える意味から、イラクの養殖史、タイ類を使う家庭用オーブンのレシピまでたどる。

執筆日:編集日:文:ttr1563
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マスグーフ(画像内容の視覚確認は未完了)
画像:Hill93 / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Masgouf.jpg

マスグーフの焼き方を追っていて、気になったのは魚を立てる場面より、その姿勢をやめる瞬間だった。2010年のTIMEによるバグダードの取材記事では、背から開いた魚の身を火へ向けて焼き、最後に皮側を炭の上で焼いている。火のそばに立つ姿は、このイラクの魚料理の途中経過なのだ。[TIMEの現地報告](https://time.com/archive/6951075/return-to-baghdad-how-to-cook-carp-iraqi-style/)

なぜ、魚を網に寝かせずに立てるのか。手がかりは、身と皮を同じようには焼かないことにある。ただし、その姿だけを覚えても、ティグリス川と結び付けて語られる料理の全体は見えてこない。焼く一尾がどこから届くのかまで、少し視野を広げてみたい。

背開きは、身を火へ向ける準備

TIMEの記録から読み取れる、魚を立てることの働きは二つある。広げた身を火へ向けられることと、焼いている間に脂が下の灰へ落ちることだ。そのあと、皮側を炭で焼いて仕上げる。魚の向きを変えることで、熱を当てる面と当て方を切り替えている。

ここでは「背開き」という切り方にも目を留めたい。魚を背から開く工程は、焼く前の下処理であると同時に、身を大きく広げて火へ向ける準備になる。切り方、立て方、最後の皮の焼き方を一続きに捉えると、あの特徴的な姿が調理の途中でどのような役割を果たすのかが分かる。

もっとも、脂が落ちるという観察と、脂を落とすために技法が発明されたという説明は別だ。今回の資料で分かるのは工程の働きまでで、発祥年代や考案の理由までは決められない。「なぜ立てるか」には答えられる部分があっても、「誰が最初に立てたか」は残る。

器具を替えると、この姿勢も変わる。Borough Marketが公開する料理人Phil Jumaの家庭向けレシピでは、開いたタイ類を皮が下になるように置き、オーブンで焼く。同じマスグーフという料理名でも、火のそばに立てる工程はない。二つの資料を比べると、魚の置き方は使う器具とセットで読む必要がある。[Borough Marketのレシピ](https://boroughmarket.org.uk/recipes/masgouf/)

火の前のコイは、川だけから届くとは限らない

器具と魚の姿勢を分けて考えにくいのと同じように、「川沿いの料理」と「川で捕れた魚」も、いつも一組とは限らない。マスグーフの材料を考えるには、イラクで魚を育ててきた歴史も関わってくる。

FAOに掲載されたイラク農業省研究者の報告によると、1955年、バグダード南方の実験農場で池を使う養殖が始まった。国外からコイの系統を導入し、飼育を試みた背景には、動物性たんぱく質の不足と天然水域の漁獲減少を補う政策があった。国境を越えて運ばれたのは、生きた魚と、それを育てる技術だった。[FAO掲載「イラク共和国のコイ養殖」](https://www.fao.org/4/61036t/61036T10.htm)

池ができれば、あとは水と魚があればよさそうに思える。けれど、2004年のFAO国別資料が挙げるのは、飼料、薬剤、機械といった資材だ。1990年代以降の経済制裁は、これらの輸入を制約した。同資料で養殖の主要魚種とされるコイを育て続けるにも、国外から資材を調達できる条件が必要だった。[FAO「イラク水産業国別資料」](https://www.fao.org/fishery/docs/DOCUMENT/fcp/en/FI_CP_IQ.pdf)

1955年の報告が示すのは、魚を増やすために供給経路を作る段階。2004年の資料が示すのは、その経路を維持する難しさである。一尾を開いて火に向ける手前には、漁獲だけでなく、飼育と資材調達の仕事もある。

ただし、二つのFAO資料は店の仕入れ帳ではない。特定のマスグーフ店がいつ養殖魚を採用したか、制裁で価格や焼き方がどう変わったかは確認できない。ここで接続できるのは、材料となり得る淡水魚の供給条件までだ。ティグリス川との結び付きから、目の前の魚も天然魚だと決めつけることはできない。

家庭用レシピ:魚と器具を置き換えて焼く

火のそばへ魚を立てる設備がない台所では、先ほどのBorough Marketのアレンジが手がかりになる。淡水のコイを海のタイ類へ、屋外の火をオーブンへ置き換えた例だ。背から開いて身を広げる形は残しつつ、ソースを塗った魚を寝かせて焼く。

以下は掲載された6人分の材料を半量に整理した、約3人分の目安。この分量での調理・試食は行っていない。屋外で身と皮を順に焼く工程とは異なる家庭版として扱いたい。[レシピの出典](https://boroughmarket.org.uk/recipes/masgouf/)

材料(約3人分)

  • 大きめのタイ類:1尾(骨付きで開いたもの)
  • 小玉ねぎ:1/2個
  • 青ねぎ:1/2束
  • にんにく:1片
  • オリーブ油:炒め用に適量
  • 塩:少々
  • 粉しょうが:小さじ1/4
  • カレー粉、乾燥ライム粉:各小さじ1/2
  • トマトペースト:大さじ1/2
  • 裏ごしトマト:125ml
  • タマリンドパルプ:大さじ1
  • ザクロ濃縮シロップ:大さじ1と1/2
  • レモン果汁:1/4個分
  • 刻みパセリ:大さじ1と1/2

1. オーブンを180℃に予熱する。玉ねぎ、青ねぎ、にんにくを薄く切り、オリーブ油と塩で約8分炒める。 2. 粉しょうが、カレー粉、乾燥ライム粉を加え、約5分炒める。焦げそうなら少量の水を足す。トマトペーストを加えて数分炒め、裏ごしトマト、タマリンド、ザクロシロップを入れて、さらに約5分加熱する。 3. ソースを冷まし、フードプロセッサーで滑らかにする。パセリとレモン汁を混ぜ、魚の身と皮に塗る。 4. 魚を天板に皮を下にして置き、オーブンで中心まで火を通す。掲載レシピの焼成時間は9分だが、魚の重量・厚さの指定がないため、この時間だけで加熱完了とは判断しない。

この家庭版では、タイ類がコイの代替になっている。酸味のあるソースをまとわせる点も含め、TIMEの屋外調理記録とは組み立てが異なる。料理名が同じだからと、魚種や熱の当て方まで同じと考えず、何を置き換えたレシピかを押さえて作りたい。

「立てて焼く」の先まで見る

マスグーフで魚を立てることには、開いた身を火へ向け、脂を下へ落とす働きがある。そしてTIMEの記録では、皮側を炭で焼く仕上げへ続く。立つ姿の理由を理解するには、その前の背開きと、そのあとの皮の加熱までつなげて考えたい。

店で見る機会があれば、立っている魚だけでなく、焼き終えるまでの向きの変化を追ってみたい。材料について確かめるなら、魚種と、天然か養殖かを聞く。焼き方は火の前で見えても、魚が届いた経路までは姿に表れない。

#マスグーフ#イラク#中東・北アフリカの食文化

Sources

参考資料・出典

  1. TIME, “Return to Baghdad: How to Cook Carp, Iraqi-Style” https://time.com/archive/6951075/return-to-baghdad-how-to-cook-carp-iraqi-style/ (初稿の確認済み記録を継承。2010年の現地報告における背開き、魚を立てて身を火へ向ける工程、脂の落下、炭で皮側を焼く仕上げ。技法の発明理由を示す資料としては扱わない。)
  2. FAO(著者:イラク農業省 M. I. Al-Hamed), “Carp Culture in the Republic of Iraq” https://www.fao.org/4/61036t/61036T10.htm (初稿の確認済み記録を継承。1955年の池養殖開始、国外からのコイ系統導入、たんぱく質供給と天然漁獲減少を背景とする政策。店舗での養殖魚採用時期とは区別する。)
  3. FAO, “Fishery Country Profile: The Republic of Iraq” https://www.fao.org/fishery/docs/DOCUMENT/fcp/en/FI_CP_IQ.pdf (初稿の確認済み記録を継承。2004年資料に記された養殖の主要魚種、経済制裁による飼料・薬剤・機械等の調達制約。1955年の導入史と合わせて供給基盤の維持を説明し、現在の状況や特定店舗への影響には外挿しない。)
  4. Borough Market(レシピ:Phil Juma), “Masgouf (butterflied sea bream)” https://boroughmarket.org.uk/recipes/masgouf/ (初稿の確認済み記録を継承。タイ類を使う家庭用オーブンのアレンジ、材料、ソースの工程、焼成温度と掲載時間。6人分を半量に整理し約3人分として掲載。魚の重量・厚さが明記されていないため、9分を一律の加熱完了基準とはしない。)
  5. 画像:Hill93, “Wikimedia Commons” https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Masgouf.jpg (CC BY-SA 4.0)

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